復帰までの道のり
人事総務課の一番偉い人に凸してみた
(職場記入欄が真っ白のままの書類を見せられる)
なんかもういいです。次です。
4月末にもあるはずだったんだけどコロナで中止になっちゃって、重要事項をオンラインで共有するだけで終わったし…
これはひどい。彼らは1ヵ月間何をしていたのでしょうか。
私のこともオンラインで話し合って欲しかったな~???
と言っても意味がないことは流石に分かります。
研修管理委員長の偉い先生に凸してみた
復職に必要だと言われたので出したんですが…ちょっと何言ってるのか分かりませんでした。
カウンセラーに相談してみた
気休め程度の回答しか得られないだろうと思っていましたが、なんとここで一番たくさんの情報が得られます。
・院長は最初、精神科医として父親を呼び、私には元々ある職場の復帰プログラムを適応せず、特例として父親に全ての責任を取ってもらう(?)ことにするつもりだった。父親も主治医のようなものとみなす、とよく分からない供述をしていた。(診察されたことなんか一度もないどころか、数年間口もきいていなかったのに…)
・この父親との話し合いで私の無給タイムカード打刻+リワーク通いが決まった
・しかし、私が思ったより早く復職可能の診断書を提出し、父親も「主治医の診断書が出たなら後は任せる」と連絡したため、今度はやっぱり職場のプログラムに沿うこととする、と言い出した。
・そのため、私は5月22日の健康管理委員会の後、おそらく産業医との面接、時短などのリハビリ勤務など元々の規定通りの手順を踏んで復帰となる
・時期の目安は6月初め
つまり私が続けていた苦行はやはり何の意味もなかった、と…
給料も休職前は出すと言って休職が決まった後にやっぱり出さないと言い出すし、言うことが二転三転しすぎじゃないか。
それとカウンセラーも地味に憤っていたのですが、休職に必要な診断書を私が通院していたクリニックに私に無断で取りに行き、「本人は了承している」と嘘をついて私に料金を払わせたのもいかがなものかと思います。
しかし、色々と思う所はあるものの、とりあえず6月初めに復職できるなら日数的にセーフなので一安心し、大人しく22日を待つことにしました。
最後の波乱
最終面談でまさかの全て白紙
22日、17時に帰宅しかけたギリギリで呼び出され、いつものメンバーでの面談となりましたが、院長の開口一番の台詞は私には青天の霹靂でした。
無給なのに無断欠勤とされるしまつ
そもそも直近、事務の人に直接・メール・人事課の人・カウンセラーに口頭で「この無給で9時17時拘束を受ける生活はいつまで続けるのか?」と私は確認しまくっていましたが、口頭では「それは知らない、本人の判断に任せる」「病院としては元から強制していない」のような曖昧な返事しかもらえず、メールは長期間無視されたまま。
虚しくなって時々行かなくなっていたのは事実でしたが、「毎日来なければ評価に影響する、かつ休む(?)日は連絡が必要だ」ということをこの面談で初めて知らされるという、まるで騙し討ちのような宣告を受けました。
今までの2ヵ月間の屈辱はじゃあ何のためにあったのか。
1ヵ月以上の放置期間があったのに、今まで全く指摘しなかったのは何故なのか。
結局後出しで条件をつければいくらでも永遠に引き延ばせるじゃないか。
言うことをコロコロ変えるのなら今後一切、書類に書かれたものしか受け取らないので全て文字にしてくれ。
休職する時は「お金の心配も、復帰の心配もしなくていい」と優しい口車に乗せて強引に休職させたくせに、こちらが飲んだ途端にこれか。全部嘘じゃないか。
あなたがたがご自分で用意したそのレコーダーには何が入っているのか?
なぜこんなことを?
まず、こんなことをして何になるのかが疑問です。
90日ルールに縛られる私は時間が何より大切なのに。復職させる気がないのならさっさとクビにすればよかったのでは?
自主退職を言い出させたいのか?それとも単なる嫌がらせなのか?はたまた自分の発言を覚えていられないほど無能なのか?
もう限界です!!銃社会なら間違いなく発砲していました!!
この記事を書いたのは
ハイポの極みゆるふわ研修医。初期臨床研修医中断に関しての記事を書いている。文章からはゆるふわに研修を修了するためは努力を惜しまないという気概すら感じさせる。
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